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婚活から結婚への道のり

婚活も、お金の許す生活費の上限ギリギリまで投資して一生懸命やってきてやっと実りました。

八坂神社

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八坂神社

なぜ八坂神社は地元では「祇園さん」と呼ばれるの? 祇園祭やおけら詣りで知られる八坂神社は、地元の人たちから「祇園さん」と呼ばれている。その近所に生まれ育った女の子には、「大きくなったら、祇園さんで結婚式すんねん」という子供もいる。 もちろん、「祇園さん」と親しまれる理由は、いまでは花街として有名な祇園の近くにあり、祇園祭がおこなわれるからだが、もとをたどれば話は逆。八坂神社のもとの名前が「祇園社」だったのだ。 八坂神社の起源は奈良時代で、当時、この地域には「観慶寺」という格式を誇った寺があり、別名「祇園寺」といった。この祇園寺にあった「天神堂」が八坂神社の前身にあたると伝えられている。 その後、祇園寺は衰退したが、「天神堂」は地元の人の信仰を集めるようになった。疫病が流行したとき、葛の葉や生木を燃やし、その煙で悪霊を退散させるための御霊会が、この天神堂でおこなわれていたからである。やがて。天神堂は、衰退した祇園寺の名をもらって、「祇園社」と呼ばれるようになった。 一方、御霊会が盛んになると、仏僧の力も必要とされ、近くに「感神院」という寺院が建てられた。平安時代は仏教が厚く保護され、公家の信仰を集めていたからである。以来、「祇園社」と「感神院」が正式名となり、神仏習合の寺院として発展してきた。 ところが、明治時代になると、政府は国家神道の体制を整えるため、伝統的な神仏習合を否定、神仏分離政策をとった。そして、いわゆる「廃仏毀釈」によって、祇園社からも仏の部分が取り除かれ、完全な神社となった。そのとき、名前も「八坂神社」と改められたのである。 「八坂」という名は、平安時代以前より、この地に渡来人の八坂造(やさかのみやつこ)という一族が住んでいたことに由来する。しかし、名前は変わっても、「祇園さん」という愛称は、現在までかわらぬまま伝えられている。 ☆今日の一首(今日だけ4首) その子二十櫛にながる黒髪のおごりの春のうつくしきかな 清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君 なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな 『みだれ髪』中山和子校注より引用 与謝野晶子 1878.12.7~1942.5.29 ☆今日の名言 世の中全部の人に言いたいのですが、結婚は夢でもロマンでもありません。 現実そのものなのです。 だから結婚というものにロマンティシズムとか夢だとか、ぺったりくっつけないでほしいのです。 美輪明宏 ☆今日のひと言 最大限の夢を描くよ たとえ無謀だと他人(ひと)が笑ってもいいや 「花-Memento-Mori-」Mr.Children ☆明日への占い 魔法の杖 TAROT占い カップの10が出ました それがしたいことですか? 皆様 ご機嫌よう
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